三忠についてINTRODUCTION
三忠の信念OUR BELIEF
私たち三忠は、お客様や業界、産地の皆様と共に繁栄するために、
「使命」「創造」「信頼」という3 つの信念を掲げています。
これらは、企業として皆様に約束するものであると同時に、
社員一人ひとりが行動指針として実践していくものです。
使命感から創造性を生み、その成果と共に信頼を積み重ねていくために。
時代が変わっても、三忠は変わらない信念を胸に、
皆様への貢献を果たしてまいります。
- 使命
- 創造
- 信頼
- 私たちは、お客様や業界、産地や協力会社と
共に繁栄することを使命とし、その実現に最善を尽くします。 - 私たちは、食材の取り次ぎにとどまらず創造性を発揮し、
常に期待以上の提案をお届けできるよう心がけます。 - 私たちは、謙虚さと誠実さを肝に命じ、
約束を守ることで信頼され、頼れる集団を目指します。
三忠の歩みOUR PROGRESS
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開拓精神で踏み出した一歩。
三忠は、明治年間創業の貿易商「横浜三忠商店」を継承し、
1952年4月、東京都江東区にて「株式会社三忠商店」として創立しました。
雑穀商として踏み出した第一歩、それは現在に引き継がれる開拓精神の一歩でもありました。
豆類の多くの主産地が北海道であった当時、ゆくゆくは国内の需要に対して豆類の供給が足りなくなるという見立てを持った三忠は、大手商社と掛け合い、輸入先の開拓に乗り出しました。
まだ、大豆以外の豆に輸入額規制があった頃のことです。
その後、地道ながらも確実にお客様の信頼を積み重ね、業績を伸ばしてきた三忠は、1960年代、大手製パン会社とあんこ用の小豆供給契約により大きな飛躍を遂げます。
それは、天候に左右される農作物を扱いながら、たとえ不作の年であっても、豆を届けるために奔走した結果でした。
約束を守るという強い想いと行動は、半世紀以上も昔の当時から連綿と引き継がれています。 -
日本の蕎麦業界と共に花開く。
豆類の輸入規制がガット・ウルグァイ・ラウンドの合意によって、金額割合から現在の数量割合に移行したのち、三忠は蕎麦の取り扱いを大きく伸ばしていきます。
その原動力となったのは、創立から続く開拓精神と、海外の蕎麦産地を探し求め、時には蕎麦畑の開拓から共に行うことで深めた生産者との絆、そして、慣習や常識にとらわれず、日本の蕎麦業界の発展のために発揮した創造性でした。
当時、新規事業として蕎麦の取り扱いを任された田村光司・現会長は、カナダ、アメリカが蕎麦の主産地だった頃に、中国の持つ蕎麦産地としての可能性に着目し、まさに農家と二人三脚となって次々と「産地づくり」を実現していきました。
現在においても、中国の各地域の生産者との関係が非常に深いのは、体ごと現地に飛び込み、誠心誠意で築き上げた信頼関係が土台にあるためです。
そのような過程で契約を結び仕入れた蕎麦は、様々な情報が透明に公開されており、まだ言葉が定着していない頃からトレーサビリティを当たり前のように実践していました。
さらに、仕入先との強固な信頼関係は、日本の蕎麦業界と共に三忠が大きく花開く商品の発明へとつながっていきます。「蕎麦の剥き身」です。
それまで蕎麦を輸入した後に国内で担っていた皮剥きを事前にやってしまうという発明は、多くの供給先には高い評価を受け、手間が省かれ蕎麦を加工しやすくなったことで、日本の蕎麦供給量を大きく膨らませました。
業界と共に、ひいては蕎麦を愛する人々と共に繁栄することにつながった「蕎麦の剥き身」は、まさに三忠が大切にする創造性を象徴する商品となっています。 -
時代を超えて歩む三忠という道。
雑穀商として第一歩を踏み出し、蕎麦で花開いた三忠の歩みは、21世紀に入り、新たな道へと踏み出します。冷凍加工食品の取り扱いです。
冷凍のカットタコや、それを加工した冷凍タコ焼き、エビフライなど、食品という点を除けば、従来の事業と全く関係がないかのような冷凍加工食品。
しかし、国境を超えて産地との信頼関係を築き、供給先のお客様に喜ばれるために工夫することにおいて、三忠らしさの活きる道がそこにありました。
はじめは小さな芽であった冷凍加工食品の事業でしたが、単なる取次に終わらずお客様の付加価値をお届けすることを重視した結果、今では三忠の三本柱のひとつと呼べるまでに成長しました。
昭和、平成、そして令和へ。1952年の創立以来、産地や協力会社、お客様との信頼を何より大切してきた三忠。一歩一歩、皆様と共に地道に歩を進め、共に成長する姿勢は、時代が変わっても決して変わることはありません。